今日は何もしない日って決めたら心がちょっとラクになった話


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ちゃんと頑張ってるはずなのに、なんかモヤモヤするそんな日ってありませんか?
朝起きてから寝るまで、毎日なにかに追われてる気がする。
やることはいっぱいあるし、ちゃんとこなしてるはず。
だけど、ふとした瞬間に思うんです。

 

「今日って、何してたっけ?」
そんな気持ちになるのは、ちょっと心が疲れてるサインかも。
この記事では、私が実際にやってみて心がふっと軽くなった「何もしない日」についてお話しします。

 

「今日は何もしない日」って、案外ぜいたくかも。
気づいたら、もう夜。
朝起きて、顔洗って、ご飯ちょっとつまんで、PCに向かって。
仕事して、ご飯作って、気づけばもう19時すぎ。
「え、私…今日って何してたっけ?」

 

最近、こんな日ばっかり。
なんとなく頑張ってるし、毎日ちゃんと生きてるつもりなんだけど、
ふと、心だけ置いていかれてるような感覚になるとき、ありませんか?

 

「何もしない日」を、思いきって作ってみた。
そんなある日平日だったけど、朝からなんとなくやる気が出なくて。
「あ、もう今日は休も」って、思いきって宣言しちゃいました。
誰にってわけじゃないけど、自分に対してね。

 

洗濯も掃除も保留。メールも返信しない。
家着のまま、ソファにダイブして、アイス食べて、好きなドラマを一気見。

 

最初はちょっとソワソワしたけど、
だんだん心の中が「ふーっ」て息を吐いたみたいに、ゆるんでいったんです。

 

忙しさに慣れちゃってたけど、本当はちょっと疲れてたんだなって気づいた。
「何もしない」って、罪悪感がある気がして避けてたけど、
実際やってみたら、こんなにも気持ちいいんだって驚きました。

 

いつも「やらなきゃ」に追われてたから、
予定をぜんぶキャンセルして、“自分だけの一日”を過ごすって、
なんかもう、それだけでごほうびみたい。

 

毎日は変わらない。でも、心の余白ができた気がする。
次の日から何か劇的に変わるわけじゃないけど、
気持ちがちょっと軽くなったというか。
「よし、またがんばってみようかな」って思える余裕ができたんです。

 

たまには、勇気を出して“サボる日”も大事ですね。
なにもしない日、もっと大事にしよう。

朝起きてスマホを見ないって意外と勇気いる


朝、スマホを見ないだけで、世界がちょっと違って見えた話。
目が覚めて、いつものように手がスマホに伸びそうになる。
でも今日は、ぐっとこらえる。

 

朝起きてすぐにスマホを見ない。
たったそれだけなのに、やってみると意外と勇気がいるんですよね。

 

目覚ましもかけずに寝て、自然に目が覚めた朝。
カーテンの隙間から入るやわらかい光と、風に揺れるカーテン。
静かで、穏やかで、なんだか時間が止まってるみたい。

 

「通知、来てるかな?」「LINE返し忘れてないかな?」
頭の片隅がザワザワしつつも、代わりにゆっくりお湯を沸かして、コーヒーを淹れる。

 

マグカップからふわっと上がる湯気をぼーっと見つめながら、ひと口。
「あれ、朝のコーヒーってこんなにおいしかったっけ?」
気のせいか、味も香りも濃く感じて、
まるでちゃんと“自分”に戻ってきたような気がした。

 

午前中、なにもしないって…なんか落ち着かない(笑)
普段なら、もう洗濯回してる時間。
シンクの食器を片づけて、掃除機かけて…ってバタバタしてるはずなのに。

 

今日はあえて、何もしないって決めたんです。
ソファに座ってみたけど、落ち着かない。
体が無意識に「次、何する?」って聞いてくる。
「ていうか、掃除機かけたっけ?」
誰かが頭の中でツッコんでくる感じ(笑)

 

時計を見たら、たったの10分しか経ってない。
「え、まだ?」って声が思わず出そうになるくらい、時間の流れがゆっくり。

 

でも、その“間”が、じわじわ効いてくる。
15分、20分と時間が過ぎていくうちに、
だんだん思考が静かになってきた。

 

ふと、昔行った旅行のことが頭をよぎったり、
学生時代によく聴いてた懐かしい曲が脳内再生されたり。
「…あぁ、なんか、こういうの久しぶりかも。」

 

忙しい日常の中では忘れがちな、小さな“自分”を拾い集める時間。
脳みそって、こういう静かな時間にこそ
勝手に片づけしてるのかもしれないな〜って思ったり。
たまにはスマホを手放して、自分の朝を取り戻してみる。
何かをするためじゃなく、
ただ「何もしない」を選ぶ時間って、
思ってた以上に豊かで意味があるんだなって、実感しました。

 

スマホを見ない朝。何もしない午前中。
それだけで、ちょっと世界の見え方が変わるかもしれません。

何もしない日の過ごし方丁寧に食べて昼寝して心が整った日


昼ごはんをちゃんと味わうだけで、こんなに満たされるなんて。
今日のお昼は、昨夜の残り物にインスタント味噌汁。
一見なんてことない、いつものメニュー。

 

でも、今日はちょっとだけ過ごし方を変えてみたんです。
テレビもスマホもオフにして、“ながら食べ”は封印。
ただ、静かに、食べることだけに集中してみました。
…するとびっくり。

 

味噌汁の味が、いつもよりしっかり感じられて、
「え、インスタントなのに美味しいやん…?」って(笑)
ちゃんと噛んで、ちゃんと味わって、
なんだか久しぶりに“ごはん食べてる!”って実感しました。

 

お腹が満たされていく感じと一緒に、
気持ちまでほぐれていくような、そんな感覚。
いつもは「ただの作業」になりがちだった食事が、
こんなにも“ご褒美タイム”になるなんて、ちょっと感動でした。

 

お昼寝に罪悪感がない日、それって最強。
ごはんを食べたら、ふわ〜っと眠くなってきて。
部屋の中がほんのりあったかくて、空気もゆるっとしてて。
いつもなら「いやいや、昼寝なんてしてる場合じゃない」って
どこかでブレーキをかけるところなんだけど…

 

今日は何もしない日。
むしろ、昼寝するしかないっしょ!って堂々と布団へ(笑)
ゴロンと横になって、目を閉じたらあっという間に夢の中。
しかも、短いお昼寝だったのに、目覚めたときのスッキリ感がすごい。

 

「え、これ完全にリセットされたやつ!」って感じで、
頭も体もふわっと軽くなってた。
なんだろう、この「ちゃんと休んだ感」。
めちゃくちゃ満たされてて、ちょっとテンション上がりました。

 

“ちゃんと食べる・ちゃんと休む”が、じつはいちばんのごほうび。
特別なことなんてしてないのに、
いつもと違うのは“ちゃんと味わった”ってことだけ。

 

ごはんも、眠ることも、いつの間にか「効率よくすませるもの」になってたけど、
ほんのちょっとだけ立ち止まって、丁寧にしてあげるだけで、こんなにも違うんだなって。
何もしない日、最高すぎましたちょっとクセになりそうです。

「何もしない」って、とても意外と心が整っていく

 

「今日、なにもしなかったなぁ」って思う日。
でも、そんな日がふと心を救ってくれること、ありませんか?

 

忙しい毎日に追われて、いつの間にか自分の気持ちを後回しにしていたり、
頑張ってるのに、なんだか満たされない日が続いたり。

 

そんなとき、何気なく見上げた夕方の空に
なにもしない日にも、ちゃんと意味がある。
「あ、自分、生きてるな」ってしみじみ感じた──これは、そんな一日のお話です。

 

夕方、ただ空を見てただけなのに、心がふわっと軽くなった話
なんてことない一日だった。
朝から特に予定もなくて、部屋の片づけをちょっとして、気づいたらもう夕方。

 

ソファにごろんと横になって、ふと窓の外を見た。
少し肌寒い風がカーテンを揺らしてて、空はオレンジと水色のグラデーション。
「ああ、今日もちゃんと終わるんだな」って、なんか胸がきゅうってなった。
別に誰かと話したわけでもないし、特別なことをしたわけでもない。
でも、じわ〜っと心が満たされていく感じがあって。
たぶん、こういう瞬間を「整う」って言うんだと思う。

 

夜まで「何もしない」を選んでみた日
そのままの流れで、ごはんも簡単に済ませて、お風呂にゆっくり浸かった。
スマホも本も持ち込まずに、ただ湯気のなかでぼーっとしてたら、
いろんなことがどうでもよくなってきて、不思議と気持ちが軽くなった。

 

そして、そのまま布団に潜り込んでひとこと。
今日、な〜んにもしてないけど、めっちゃ満たされてるわって。

 

忙しさにまぎれて、自分の心を後回しにしてたかも
毎日なにかしら“やらなきゃ”に追われて、気づけば一日が終わってる。
SNS見て、あの人はあれやってる、これもできてるって焦ってばっかりだった。

 

でも、こうして一日なにもせずに過ごしてみたら、
「あ、自分って、こんなふうにゆるめることもできるんだ」って気づいた。
誰に見せるわけでもないし、今日の成果なんてひとつもないけど、
それでもちゃんと価値ある一日だったって、胸を張って言える。

 

ときどき立ち止まって、深呼吸しよう
ずっと頑張り続けなくてもいいんだよね。
走るのをやめても、止まっても、後ろに下がっても、
それが“サボり”になるわけじゃない。

 

むしろ、立ち止まることで見えてくる景色もある。
ときには「なにもしない日」をつくって、
自分の心の声に耳を澄ませる時間も、
すごく大事なんじゃないかなって思う。

 

なにもしない日も、ちゃんと意味がある
夕方、空を見てるだけで、
「ああ、自分、今日もちゃんと生きてる」って思えた。
そういう日が、意外と心を支えてくれてたりするのかもね。

 

がんばりすぎてるあなたに、
「たまにはなにもしない日をつくってみてもいいんじゃない?」って
そっと伝えたくて、今日はこんな話を書いてみました。

「何もしない日」もちゃんと生きてるって思えた話


「何もしない日」って、ちゃんと生きてるって思えた
最近、やたらと目に入るんですよね。
「老後どうする?」とか、「生きがい見つけてますか?」みたいな話。
SNSでも、「あなたの趣味は?」とか「充実した人生を送ろう!」って投稿が流れてくるたび、
なんとなく置いてけぼりにされた気分になったりして。

 

で、ちょっと考えてみたんです。私の趣味って、なんだろう?
……うーん、しいて言えば「散歩」かな。
それから、生きがいは「小さなことに感謝すること」。
あれ、これだけ?って思う自分もいたけど、
「うん、これでもう充分かも」って、なんだかスッと腑に落ちたんです。

 

昔は“なにかしなきゃ”って思ってたけど…
前はもっと焦ってた気がします。
「何かスキルを身につけなきゃ」とか、
「もっと充実してる自分でいなきゃ」とか。

 

でも、最近は「別に、何もしなくてもいいじゃん」って思えるようになってきました。
これが意外と、じんわり効いてくるんですよね。
ふっと肩の力が抜けて、なんなら元気まで戻ってくる。不思議。

 

“何もしない日”って、意外と心に効く
私、最近は「何もしない日」と「思いきり楽しむ日」をちゃんと分けてます。

 

たとえば今日。仕事が休みだったんだけど、
買い物だけささっと済ませて、あとはずーっと家でゴロゴロ。

 

ごはん食べて、お昼寝して、たまにぼーっと窓の外を眺めて。
正直、ふと「こんなんでいいのかな?」って不安にもなるけど、
そういう日こそ、じわ〜っと心がほぐれてく感じがするんです。

 

「今日、なにか成し遂げた?」って聞かれたら、「いや、なにも…」って答えるしかないんだけど、
でも、ちゃんと“生きてたな”って思える日。
それって、すごく大事なことじゃないですか?

 

SNSのキラキラにちょっと疲れてたのかもしれない
日常って、どこかいつも「急がなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」に追われてて。
SNSを開けば、キラキラな誰かが楽しそうに生きてて、
テレビをつければ「今すぐ○○始めよう!」ってせかされる。
あれ、別に悪くないんだけど、毎日だと正直ちょっと疲れちゃう。
だから私は、自分のペースでいられるなにもしない日を、意識して作るようになりました。

 

たまには「何もしない」って選択も、全然アリ
もしかすると私たちは、「なにかしてないとダメ」って思い込みを
どこかで刷り込まれてるのかもしれません。

 

でも本当は、何もしない時間があるからこそ、
また動き出せるんですよね。
ぼーっとして、休んで、気力が戻ってきたら、
「よし、ちょっとやってみるか」って思える日もくる。

 

人生って思ってるよりずっと短くて、
「あれ、もうこんなに時間経ったの?」ってびっくりすることばっかり。
だからこそ、今この瞬間を大事にしたい。
たとえそれが“なにもしない時間”だったとしても。

 

自分のペースで、ちゃんと生きてる
「人生は短い」ってよく聞くけど、本当にそうだと思う。
だからこそ、誰かのペースじゃなくて、自分のペースで生きたい。

 

焦らなくてもいい。頑張らなくてもいい。
立ち止まる日があったって、全然かまわない。
むしろ、そんな日があるから、また頑張れるんだと思う。

 

何もしない日も、ちゃんと意味があるそれって、なんだかちょっとホッとしませんか?